見て、歩いて、感じて、米子の歴史写真ライブラリー タイムトリップ米子 そぞろ歩き [明治・大正・昭和]
トップページ

タイムトリップ米子 そぞろ歩きコース
米子城跡とその周辺・3時間コース
map噴水の鯉錦公園水泳場清洞寺岩三人五輪清洞寺岩糺山スキー場日露戦争記念塔潮止め松米子市商品陳列場米子市商品陳列場の横を走る市内電車錦公園の噴水池鳳翔閣(ほうしょうかく)内善丸(ないぜんまる)錦公園と旧鈴のご門付近を結ぶ仮橋御殿御用井戸小原家長屋門米子城絵図面松江監獄米子主張所鳥取県産業観光米子大博覧会日本冷蔵商会出山の水泳場城山からの眺望米子城天守閣米子城本丸跡の航空写真本丸の石垣番小屋跡米城(べいじょう)焼原牧場舛形(ますがた)米子駅前通り米子駅前通り米子駅前通り米子駅前通り御幸座山陽線(山陰線)開通米子市商品陳列場の横を走る市内電車米子市商品陳列場潮止め松鳳翔閣の前庭鳳翔閣(ほうしょうかく)日露戦争記念塔清洞寺岩三人五輪清洞寺岩錦公園水泳場錦公園の桜見噴水の鯉錦公園の噴水池錦公園と旧鈴のご門付近を結ぶ仮橋日本冷蔵商会出山の水泳場糺山スキー場城山からの眺望城山からの眺望本丸からの眺望米子城本丸跡の航空写真米子城天守閣本丸の石垣番小屋跡内善丸(ないぜんまる)御殿御用井戸小原家長屋門米城(べいじょう)焼舛形(ますがた)原牧場鳥取県産業観光米子大博覧会松江監獄米子主張所米子城絵図面米子駅前通り米子駅前通り米子駅前通り御幸座米子駅前通り米子駅前通り米子駅前通り米子駅前通り米子駅前通り米子駅前広場山陽線(山陰線)開通

〜米子から米子商工会議所まで〜

photo【1】山陽線(山陰線)開通
●明治35年11月
明治35年、境-米子-御来屋が開通。式典挙行。当時、駅の所在地は成実村。

photo【2】米子駅前通り
●明治45年
駅前広場と駅前通りを建設、明治43年完成。写真は明治45年、山陰線開通記念博覧会の歓迎塔。

photo【3】米子駅前通り
●大正中期
建ち並ぶ倉庫と大八車の数々。

photo【4】米子駅前通り
●大正後期
かしわぎ旅館前のラクトーゲン(粉乳)の宣伝車。

photo【5】米子駅前広場
●昭和前期
駅前右にフォードのハイヤー、左に6角形のポリボックス。

photo【6】米子駅前通り
●昭和前期
祝賀の日、駅前通りの賑わい。

photo【7】米子駅前通り
●昭和前期
左手前は米吾(こめご)、通り突き当たりは潮止(しおど)め松。

photo【8】米子駅前通り御幸座(現アルファーワン)
●昭和前期

photo【9】米子駅前通り
●昭和40年代
歩道にアーケードが見られる。右手奥の建物は米子大丸。

photo【10】米子駅前通り
●昭和20年代
手前右、練炭工場(現ファミリー)、手前左就将小学校 。


〜米子城〜

photo【11】米子城絵図面
●江戸前期
最も古い米子城絵図面 。城は慶長10年頃(1605)までに完成。

photo【12】松江監獄米子出張所
●明治後期
三の丸(現野球場)にあった米蔵を改造して監獄とする。大正年間まで存在。
手前左、屋根の白く光っている建物。

photo【13】鳥取県産業観光米子大博覧会
●昭和25年
現野球場を中心として、大博覧会を開催。戦後米子市の復興に大きく寄与した。

photo【14】原牧場
●昭和前期
明治中期、城の作業場を中心として原(はら)氏による牧場が開かれる。最盛期にはホルスタイン種が50〜60頭。米子乳業の祖。

photo【15】舛形(ますがた)
●現代
二の丸の上り口に設けられた防禦施設。

photo【16】米城(べいじょう)焼
●昭和前期
明治39年、形の内側で米城焼の窯が開かれる。戦時中閉じられる。

photo【17】小原家長屋門
●昭和20年代
元米子城預り荒尾氏の家臣、西町の小原家の長屋門であったが、米子市に寄贈されここに移築された。

photo【18】御殿御用井戸
●現代
二の丸御殿で使用されていた井戸のひとつ。

photo【19】内善丸(ないぜんまる)
●現代
戦国時代からの削平(さくへい)地。江戸時代、ここに火薬庫があった。

photo【20】番小屋跡
●現代
江戸時代、ここに天守閣を守る番人のいる小屋があった。

photo【21】本丸の石垣
●江戸前期
3層に積み上げられた本丸の石垣。この上に天守閣が建っていた。

photo【22】米子城天守閣
●明治初年
深浦方面から望んだ天守閣。四重櫓はすでに取り壊されている。

photo【23】米子城本丸跡の航空写真

photo【24】本丸からの眺望
●明治中期
眼下に広がる田畑は、もと侍屋敷。その中の大きな建物は角盤高等小学校(後の就将(しゅうしょう)小学校)。左手森は加茂神社。中央左右に延びる家並は本通り。

photo【25】城山からの眺望
●明治中期
潮止(しおど)め松と清洞寺岩との間を埋め立てて水田を開く。ここが後に錦公園。

photo【26】城山からの眺望
●明治後期
手前の山は内膳丸、その右手は内堀。内堀から北に延びる松並木は潮止め松。そこから北東に延びる通りは内町〜立町。この通りが戦国時代の城下町。上部右の森は糺山(ただすやま)で、白く光っているのは砂山。

photo【27】糺山スキー場
●昭和前期
糺(ただす)の砂山は戦前、米子市民のスキー場として賑わう。


〜錦公園(現湊山公園)〜

photo【28】出山の水泳場
●昭和25年
出山の南側入江は遠浅で、水泳場として最適であった。

photo【29】日本冷蔵商会
●昭和25年
わが国最初の製氷会社が内膳丸のふもとに開業。写真は明治36年。

photo【30】錦公園と旧鈴のご門付近を結ぶ仮橋
●明治

photo【31】錦公園の噴水池
●昭和前期

photo【32】噴水の鯉
●現代
現在、児童文化センター玄関前に展示。

photo【33】錦公園の桜見
●昭和30年代

photo【34】錦公園水泳場
●昭和前期
清洞寺岩から延びるコンクリート堤防と桟橋。

photo【35】清洞寺岩
●大正〜昭和前期
清洞寺岩はもと島であったが、江戸時代埋め立てられ地続きとなって寺が建てられた。まわりの海が深く、飛び込み練習に最適の岩。

photo【36】清洞寺岩三人五輪
●現代
右-加藤光泰(2代城主、加藤定泰の父)供養
中・左-池田由之(よしゆき)夫妻(城預り池田由成(よしなり)の両親)供養

photo【37】日露戦争記念塔
●明治後期
清洞寺岩の東側に建立。

photo【38】鳳翔閣(ほうしょうかく)
●明治後期
大正天皇が皇太子のとき行啓。その宿泊所として建設。

photo【39】鳳翔閣の前庭
●大正

photo【40】潮止め松
●現代
ここが江戸時代の海岸線。

photo【41】米子市商品陳列場
●昭和前期
元西伯郡商品陳列場。昭和15年、山陰歴史館。
場所は湊山公園入口の道を挟んだ反対側。(現医学部敷地)

photo【42】米子市商品陳列場の横を走る市内電車

QRコード
利用方法について著作権についてJKKL・当取り組みについてお問い合わせ
Copyright (c) 2009 JKKL All Rights Reserved.