

【2】米子駅前通り
●明治45年
駅前広場と駅前通りを建設、明治43年完成。写真は明治45年、山陰線開通記念博覧会の歓迎塔。 |
【7】米子駅前通り
●昭和前期
左手前は米吾(こめご)、通り突き当たりは潮止(しおど)め松。 |
【12】松江監獄米子出張所
●明治後期
三の丸(現野球場)にあった米蔵を改造して監獄とする。大正年間まで存在。
手前左、屋根の白く光っている建物。 |
【14】原牧場
●昭和前期
明治中期、城の作業場を中心として原(はら)氏による牧場が開かれる。最盛期にはホルスタイン種が50〜60頭。米子乳業の祖。 |
【17】小原家長屋門
●昭和20年代
元米子城預り荒尾氏の家臣、西町の小原家の長屋門であったが、米子市に寄贈されここに移築された。 |
【21】本丸の石垣
●江戸前期
3層に積み上げられた本丸の石垣。この上に天守閣が建っていた。 |
【24】本丸からの眺望
●明治中期
眼下に広がる田畑は、もと侍屋敷。その中の大きな建物は角盤高等小学校(後の就将(しゅうしょう)小学校)。左手森は加茂神社。中央左右に延びる家並は本通り。 |
【25】城山からの眺望
●明治中期
潮止(しおど)め松と清洞寺岩との間を埋め立てて水田を開く。ここが後に錦公園。 |
【26】城山からの眺望
●明治後期
手前の山は内膳丸、その右手は内堀。内堀から北に延びる松並木は潮止め松。そこから北東に延びる通りは内町〜立町。この通りが戦国時代の城下町。上部右の森は糺山(ただすやま)で、白く光っているのは砂山。 |
【35】清洞寺岩
●大正〜昭和前期
清洞寺岩はもと島であったが、江戸時代埋め立てられ地続きとなって寺が建てられた。まわりの海が深く、飛び込み練習に最適の岩。 |
【36】清洞寺岩三人五輪
●現代
右-加藤光泰(2代城主、加藤定泰の父)供養
中・左-池田由之(よしゆき)夫妻(城預り池田由成(よしなり)の両親)供養 |
【41】米子市商品陳列場
●昭和前期
元西伯郡商品陳列場。昭和15年、山陰歴史館。
場所は湊山公園入口の道を挟んだ反対側。(現医学部敷地) |
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