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キネマ館
朝日町にあった活動写真常設館。大正12年に新築されたが、翌13年焼失。のち、民衆映画劇場、米子セントラル、米子東映と名が変わり、昭和40年まで存続。 昭和3年頃
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皆生温泉の西小路
以前から皆生にあった旧道で四条小路に続くもので西小路と名づけられ、皆生を訪れる風流人士の散策の場であった。 昭和1年頃
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皆生三条通り
三条通り入口に近い、招きの松の傍らを走る乗合自動車。 昭和1年頃
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皆生四条通り
皆生温泉開発の基礎は市街区の設計にあった。東から一条、二条、三条、四条、西小路(旧道)と碁盤の目のような区画がなされた。四条通りには電車の終点があったが、当初より三条通りが中央メインストリートであった。 昭和1年頃
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義方少年団の国旗掲揚
昭和10年に義方小学校の少年団が校庭に集まり、国旗を掲揚してから訓練をはじめるところ。国旗の下の大きな家が渡部病院長宅。松の木の下が天満宮、左の二階の家が精華女学校。 昭和10年
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大篠津村の愛労託児所
弓浜地方は養蚕が盛んであり、農繁期と重なる時期には小学校に入るまでの幼児を集めて面倒を見る「大篠津村愛労託児所」が開設された。世話役は小学校の校長さんをはじめ、全部の先生とその奥さん方、村の有志であった。 昭和8年
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就将尋常小学校
中江藤樹先生成長の地を記念して藤棚が作られている。 昭和10年代
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箕蚊屋地区第1回勧学祭
大神山神社にて。箕蚊屋地区、大幡、春日県、大高、巌、日吉津、大和、7ヶ村、7小学校卒業生各1名を表彰。記念写真前列生徒7名。二列中央、毛利龍一宮司(和歌山県、宮幣大社丹生都比売神社・小学校長・生徒の父兄・大高牧場職員等) 昭和8年4月
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